【REVSPEED創刊30周年記念企画】世界に誇る日本のチューニング『R1 TITAN amuse corporation』編
2020/12/25 18:09
- CATEGORY : コラム 創刊30周年記念インタビュー
R1 TITAN amuse corporation
トップチューナーとして名を馳せたパワーハウスアミュースの故・田名邊秀樹代表をリスペクトし続け、アミューズ・コーポレーションを立ち上げて、R1 TITANブランドを継承する工藤康恭代表。これまでとこれからの想いを語る
R1 TITANに想いを馳せるすべての人たちと田名邊イズムを継承する
18歳まで神奈川に住んでいて、秋田にいながら関東が遠い場所ではなかった工藤さん。JZX100チェイサーツアラーVに乗っていた23歳の頃、当時、JZX100のコンピュータはパワーハウスアミューズにしかなく、館山を訪れたのが、チューナー田名邊秀樹代表との出会いだった。
以来、田名邊さんと田名邊さんの施すチューニングに心酔した工藤さん。JZX100は1Jエンジンのまま、245/45R17のA048・Mコンパウンドで筑波1分1秒台まで達したが、そのあと、自身で飲料を取り扱う会社と食料品を売る会社を立ち上げて、クルマ遊びを3~4年我慢した。
田名邊さんもそのいきさつは知っていて、「成功したらカーボンR(BNR34)でもカーボンチェイサーでも何でもつくってあげるから、いまは仕事を頑張りなよ」といってくれていたが、2008年9月に病のためこの世を去ってしまう。
R1 TITAN青炎 370Z (Z34 VQ37VHR)
工藤さんのショックは大きく、宝物として残していたJZX100は、誰の手にも渡したくなくて、しかし、お金もなく、ハイテックロムとタービンだけを外して、解体屋に持ち込み、泣きながら目の前で潰れるのを見ていたという。工藤さんの田名邊さんに対する心酔ぶりを示すには十分過ぎるエピソードだ。
翌年、田名邊さんがつくったクルマが欲しくてたまらなくなった工藤さんは、かつてのZ33デモカーを手に入れる。それでZチャレンジに出たりしていたが、そのうち「出ないでくれ」みたいな雰囲気になる。田名邊さんが手掛けたZは速過ぎたのだ。
「ハイテックロムもR1 TITANも凄いのですが、田名邊さんのつくるクルマはパッケージングで速かったんです。そして、いろいろ試すことで壊れる領域を知っていて、その手前の美味しいところを推奨する。カスタマー目線でタイムを出す凄さに惹かれていました」。
R1 TITAN青炎 86/BRZ/FR-S
現在、工藤さんは3つの会社を経営していて、社会的に成功している。危機に瀕しているアミューズを何とかしたいと思って、アミューズ・コーポレーションを立ち上げ、R1 TITANの商標を取得。マフラーをはじめ、チタン製品やエアロパーツの製造・販売を行っている。マフラーは加速騒音や排出ガス試験の費用も莫大で、いわば「火中の栗を拾った」ようなものだが、憧れて、あれこれ悩みながら買ってくれるカスタマー、1本ずつ手づくりで仕上げてくれる職人さんたち、そして、田名邊さんやその遺族の想いを背負って踏ん張っている。
田名邊さんが選定したパイプ径やつくり込みには凄まじいノウハウが敷き詰められているという。工藤さんはそれらと向き合って学び、A90スープラなどの新型車やロードスターなど、アミューズ色が薄い車種までラインアップを広げている。また、チタン触媒など、新たなアイテムも開発した。
R1 TITAN青炎 350Z Z33 VQ35DE/VQ35HR
A90 SUPRA R1 TITAN EXTRA Stti Goldring
R1 TITAN青炎 EVO-Ⅹ(4B11)
R1 TITAN青炎 WRX STI/S4 WRX USDM
「田名邊さんとマフラー工場の創業者は映画だっていっていたんです。R1 TITANが欲しいと思ったら、もうストーリーは始まっていて、どのテールがいいか、いろいろ悩んで、ドキドキしながらオーダーして、なかなか来ないけど、やっときたらキレイな梱包に驚き、ピカピカに輝いているテールとご対面。取り付けを依頼した先でも気を遣っての作業が行われ、エンジンを掛けて音に感動。次の朝、起きてクルマに乗ろうと、キーを見た瞬間にワクワクする……みたいな。だから、ミスがあってはいけないし、そんなストーリーをつねに頭に描きながらやっているつもりです」と工藤さん。覚悟に覚悟で応えている。